01[투어 리포트] "21년을 기다렸다"… 44세 베테랑 나이토 히로타로, 집념의 JGTO 첫 승
프로 데뷔 21년 차를 맞은 44세 베테랑 나이토 히로타로(内藤寛太郎)가 마침내 일본프로골프투어(JGTO) 생애 첫 우승의 한을 풀었다. 나이토는 선두에 4타 앞선 채 치른 최종 라운드에서 6타를 더 줄이며 최종합계 25언더파로 5타 차 압승을 거두었다. 이 기록은 '전설' 점보 오자키와 이와사키 아구리가 보유했던 대회 최다 언더파 기록을 무려 5타나 경신한 대기록이다. 대회 3일 차에 급성 허리 통증이 찾아오는 악재 속에서도 8라운드 연속 60대 타수를 기록하는 철벽 플레이로 좌중을 압도했다.
우승의 순간에는 뜨거운 눈물이 흘렀다. 18번 홀에서 그를 연호한 이는 후원사 '로피아'의 다카기 유스케 전 사장이었다. 코로나19 사태로 어렵던 2021년, 나이토의 성실함만을 보고 메인 후원을 결정했던 다카기 전 사장은 만석 비행기를 뚫고 현장을 찾아 그를 응원했다. 2021년 첫 시드 획득 후 1년 만에 시드를 잃고, 2024년 2부 투어 상금왕 다툼에서 단 2만 6천엔 차이로 시드를 놓치는 등 무수한 시련을 겪었던 나이토는 은인의 응원에 감격의 눈물을 훔치며 힘든 시기를 버티게 해준 데 대한 깊은 감사를 전했다.
이번 우승으로 후쿠시마현 출신 최초의 JGTO 투어 챔피언이 된 나이토의 뒤에는 늘 묵묵히 지원해 준 아버지 히로시 씨가 있었다. 축구 선수를 꿈꾸다 부상으로 포기했던 아들에게 골프를 권유하고, 2006년 프로 전향 이후 지옥이라 불리는 QT(시드순위전)를 전전할 때마다 함께 마음을 졸였던 아버지는 비로소 안도의 한숨을 쉬었다. 나이토는 우승 부상으로 받은 ANA 퍼스트클래스 왕복 항공권을 망설임 없이 부모님께 선물하며 효심 깊은 모습을 보였다. 길었던 21년의 기다림 끝에 거머쥔 우승컵은 그와 그를 지지해 온 이들에게 잊지 못할 선물이 되었다.
02原文(日本語)— JGTO
本人も、恩人も泣いた。44歳の内藤寛太郎(ないとう・ひろたろう)がプロ21年目の悲願を達成した。
4打差の単独トップで出て、5打差の圧勝。
通算25アンダーは、大会7勝のジャンボ尾崎さんと、岩﨑亜久竜(いわさき・あぐり)が記録した最多アンダーを5打も更新した。
2番でピンを直撃するピンそばバーディ。4番では3メートルを決め、5番ではチップイン。
8月に投入したゼロトルクパターにも物言わせて、着々と逃げ切り態勢を築いた。
15番からの3連続バーディも圧巻だった。
3日目に、ギックリ腰を発症したとは思えないほど盤石の6アンダー「66」で、自身の連続60台記録も未踏の8ラウンド目に突入した。
なぜ21年も要したか、と聞きたくなるほど今週の内藤はほんとうに強かった。
5打の大差をつけて入った18番で、恩人の声がした。
「ないとぉ~~~~~!」と、声援を送ってくれたのは、シルバーウィークで満席のANA便で駆け付けてくださった所属先ロピアの高木勇輔・前社長。
「すごく緊張してたんですけど、高木さんがすごく盛り上げてくださったので、笑っちゃって。リラックスできました」と、感謝した。
今では10数人がひしめくが、内藤は同社契約第一号だ。
「こんなにまじめで素直なプロはいない」と高木さんに見初められ、コロナ禍の2021年からお世話になる。
20-21年シーズンに"契約記念"の初シードを手にした。
だが、たった1年で陥落。
2024年のチャレンジトーナメント(ACNツアー)「ジャパンクリエイトチャレンジ」で11年ぶりの3勝目をあげ、復活の大チャンスを迎えたのに、賞金1位で入ったシーズン最終戦「ディライトワークスJGTOファイナル」で、わずか2万6869円差の逆転負けを喫して2位で年間シードをふいにしている。
「辛い時も支えていただいた」と、声が震えた。
「長かった…。いろいろあって苦しかった」と、涙がこぼれた。
「諦めずに頑張ってきてよかった」と、涙を拭いた。
「僕も泣きそうです」と、高木さん。
「内藤くんは、僕の1歳下で実の弟が優勝したみたいなもの。来年もまた試合に出られるかどうかだったので、心配していた。しっかりシードが獲れてほっとしました」と、恩人も感極まった。
視線の先に恩人がいます
福島県勢のツアー初V者となった。
地元郡山市から函館経由で駆け付けた、20余人の大応援団も歓喜した。
「寛太郎」の名前はお祖父さんがつけてくれたが、それを「ひろたろう」と、読むことにしたのは、お父さんの寛さんだ。
お祖父さんは最初、「"かんたろう"にしよう」と、言ったそうだが寛さんが「勘弁してよ」と、猛反対して事なき(?)を得たという。
最初はサッカーに夢中だったが、ケガで断念した内藤に、ゴルフを勧めてくれたのも寛さんだった。
「社会人になってもね、ゴルフなら何か仕事の役に立つだろうと思って勧めたんです。けど、まさかプロになると言い出すとは」。
案の定、2006年の転向後も気をもむばかり。
「なんといってもね、QTですよ。あれは、私も辛かった。あれにもう息子が行かなくて済むんだと思うと、私はただただそれが嬉しくって」と、大喜び。
「ちょっと…、あんまり余計なこと言わないで」と、こっそりお父さんをたしなめたが、優勝副賞のANAファーストクラスペア往復航空券の使いみちはどうしますか、と会見で聞かれて迷わず「両親に。どっか行ってきてもらいましょう」と、言って微笑む笑顔は優しかった。
お父さんと一緒に内藤 寛太郎


